Hoian detail of Hoi An U-Cafe


 本計画地の位置するホイアンはベトナム中部沿岸地域に位置し歴史都市としてユネスコ世界遺産に登録されている。ベトナムの中で最乾燥地域であり年平均気温は約26℃、南西モンスーンの影響で台風の影響を受けやすい地域でもある。ホイアンは国際空港を抱えるダナン市から南へ25KM下った所に位置しミーソンやフエ遺跡といった他の世界遺産へも近い。他の大都市に比較してホイアンは諸設備を整備する余裕が未だ残されておりしかも観光地としての魅力が大きいので、今後観光都市として更なる成長が見込まれる。

 湿度は雨期は70%以上、乾期は65%程度である。4月中旬から9月中旬まで、外気温が36度を超える猛暑日が頻繁にあり、水平面全天日射量は昼間約600W/m2に至り、屋根面の受ける日射量は極めて大きくなる。太陽は北東から昇り、北西へ沈む。現在は計画地の東西が空地であり、壁面が受ける日射量も大きい。
マップ2.JPGピクチャ 1.jpg
ベトナムでのホイアンの位置 ホイアン中心地と計画地

dsc07619.jpg
もしも徳川家康がホイアンに居たら?
 16世紀、ホイアンは国際貿易港として栄えていた。日本人墓、日本橋も現存するように。
当時の江戸はどうだったか、徳川家康が江戸に入ったときは蘆原の湿地帯だった。大河が流れ込む入り江、モンスーン地帯、人口規模、水との営み、水への親近感、、、ホイアンと江戸はそんなに変わりがなかったのではないか?
 家康は、利根川を銚子の外れにつけかえ、荒川を大きく東へ廻し、湿地帯だった江戸湾を豊かな穀倉都市に作り替えた。時間は掛かった、利根川が九十九里海岸に流れるのは、家光の代に。世代を大きく跨いだ長期のインフラ整備。その結果として幕末の江戸は100万人都市となった。
 ホイアンは、貿易船が少し大きくなると浅い港に船は入れず、港の機能をダナンに譲った。そして(都市の増殖からは)眠りに入る。400年経って、カタヤ、湾上にスカイスクレーパーが林立する大東京、カタヤ「眠り」が注視される国際都市。

 インフラ整備には時間がかかります。同時にインフラ整備にはある強い意思がなくては出来ません。そしてインフラ整備には蓄積が必要です。それを享受して今の我々があります。ホイアンと江戸、どっちが良いかではなく両方が400年を経た。そして今日がある。それを我々が見ることができることに先ず感謝しましょう。

 ホイアンに日本人が渡った同じ頃、ベネチアの人たちが大きく地球の反対側に行き「ベネチアみたい」と名付けたところが南米ベネズエラ。現地人の住居は入り江に杭を打ったプラットホームの杭上住居だったそうです。水と接するところに人の営みがあると見れば、ホイアン・チャンフー通り84番住居とどこが違うでしょうか?建築家丹下健三が提案した「東京計画」とどこが違うでしょうか?

 この視点を持てばいろんなことが考えられる、いろんな人が一緒に考えられる、、考えることは沢山沢山あります、、さあ一緒に考えましょう、、、Hoi An U-Cafe を通して、、、、

計画地・建物の概要を見るLinkIcon

写真をクリックすると拡大表示されます。

dsc07555.jpg

dsc07557.jpg

dsc07562.jpgdsc07564.jpgdsc07568.jpgdsc07575.jpg
dsc07579.jpgdsc07581.jpgdsc07599.jpgdsc07589.jpgdsc07604.jpgdsc07611.jpg
dsc07600.jpgdsc07618.jpgdsc07626.jpgdsc07667.jpgdsc08556.jpgdsc08500.jpg
dsc08545.jpgp1030589.jpgp1030593.jpgライオン橋.jpg来遠橋(日本橋)p1030623.jpg日本人墓tokyo1960.jpg東京計画1960:丹下健三・都市・建築設計研究所HPより